なぐりがき

週末は17歳の彼女が家に遊びにくる。

遊びにとはいっても受験を控えた彼女は大量の予備校テキストをバッグに抱えてジーパンとパーカーを来て駅の改札から現れるのだから色気もない。

たまにはスカートくらいはけよ、と突っ込みたくなるが、それセクハラじゃ、ともう一人の自分が突っ込みを入れて来るので、言葉にはしない。

いずれにせよ、彼女にとっては落ち着く場所が欲しいだけであり、僕にとっては雨の日の日曜日の無聊さを慰めてくれるものが欲しいだけなのであるから、持ちつ持たれつといった関係なのか。あるいは僕は彼女は本当に自分の兄の生まれ変わりであり、運命のめぐり合わせだという不思議な幻想を持ったまま、逃れられない思い込みに捕まっているのかもしれない。僕は真希をとても大切にしたている

彼女の名前が自分の兄と全く同じであることは、クラスの名簿を見たときにひと目で気づいた。僕にとっては一度として会うことが叶わなかった兄弟。でも、その一件は過去のこと過ぎてとても人に話すようなことでもないのだ。誰かにそのことを打ち明けても、自分が知りもしない過去の出来事に妙に執着している偏執狂としか思われないかもしれない。でも、僕は彼女に救いを求めるように恋をした。たとえそれが14歳の少女であったとしても、自分と隔てるものは何もなく、ただ自然の摂理に従うかのごとく恋をした。

初めて手を繋いだとき、初めて抱き合ったとき、そしてキスをしたときのこと
彼女との思い出を振り返るたびに自分の恋慕の裏にある見えない力の存在を感じる
兄弟への憧れ
その人が生きていたらという思い
そんな力が僕の衝動の源となっていたかもしれない

身体の関係を一切持っていないことも周りから見れば不思議なことかもしれない。
それがなくても成立する関係、それが僕と真希の関係だった
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# by corredor | 2011-05-15 23:52

シンガポールのメイドカフェ

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シンガポールのメイドカフェ第一号店、ついに行ってきた。シティーホール駅近く、チャイムスというオシャレなレストランが集まるスクウェアの一角にこじんまりとではあるが、「Cosafe Made Cafe」という看板をひっさげてたたずんでいた。メイドは客のことを終始「マスター」と呼んでいる。しかし、入店と退店の際に「ご主人さまお帰りなさいませ、いってらっしゃいませ」と挨拶するところだけは日本流のようだ。僕らが行ったときはメイドは全員十代だった。経営者も噂とおり16才。若すぎだな。てか一人金髪で明らかにヤンキーな女の子がメイドのコスプレをしていたのはこれいかに。メイドの採用に外見の基準とかはないのだろうか。

ちなみにメイドカフェの海外版はシンガポール以外にカナダやタイにもあるようだ。メイド文化は急速に広まりつつある様子だが、外国人はメイドカフェのことをどう捉えてているのだろうか。一緒に行った韓国人のツレは「オタクが通う店」として、はじめ店に入るのを嫌がっていた。実際、店に来る客はごく普通のひと。カップルでお茶しに来たり、家族でご飯を食べに着たり、とりわけメイド大好きオーラーを発している人は皆無だった。普通のレストランと変わらないじゃないかと言いたくなる。その一方、ここの経営者ファーリンさんは秋葉流メイドコスプレが大好きで、店の中にはコスプレを紹介する閲覧用雑誌がたくさん置いてあった。コスプレ文化自体は徐々に広まっていることも間違いないだろう。

そのうちメイドは「サムライ」や「芸者」みたいに日本文化の代名詞になるかもしれない。皆メイド・イン・ジャパンに憧れるようになるんだな。

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近いうちに、シンガポールに日本文化を発信する「ジャパンクリエイティブセンター」なるものができるようだ。このセンターは日本のアニメや漫画などの文化を発信する場所として建てられる。シンガポールは東南アジアの中心地であり、世界各地から様々な国の人間が集まる国際都市であることから、文化発信の拠点として選ばれたらしい。アジアゲートウェー構想の一環らしく、日本のソフト文化を世界に広げていこうという阿部政権の戦略は着々と進んでるみたいだ。日本文化の普及と言う点で言えば、正しい日本料理にお墨付きを与える認定制度などもこれとおんなじようなものか。

ソフトカルチャーが国家の戦略になる時代になったんだなぁ。

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# by corredor | 2007-03-27 20:47

卒業 と 短編動画

昨日不覚にも卒業してしまいました。学生じゃなくなるってのはこんなに寂しいもんだとは思いもよらなんだ。単位数数えてみたら全部で176もありました。間違えて一年分多くとりすぎたんじゃねーのと言われましたが、まあこれが教職課程生の運命です。ほんと粒粒辛苦な4年間+一年でした。何やら卒業祝い合コンなるものが企画されてるようですが、果たしてだれが幹事やるのやら...

さて卒業旅行で行った台湾でショートフィルムを一つ作りました。しばらく動画作りをしてなかったんですが、編集作業って本当に辛いですね。まあ今回のは至極簡単なフィルムだから良かったけど。

youtubeに収まるように容量を小さくしたため、かなり映像が悪くなってしまい残念です。テーマは2005年にF.I.Rと台北市長馬英九が合同で製作した歌、把愛傳出來にヒントを得て
“Taipei-The city of love&Peace” 
台北で会った人たち仲間たちの優しさや温かさに対する感謝の気持ちをこめてこのフィルムを作りました。くさっ
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# by corredor | 2007-03-24 20:15

台湾国内政治のいろいろ

台湾の行政院長、蘇貞昌が将来的に台湾語や客家語を台湾の公用語にする考えを示した。戦後から現在に至るまで、台湾では北京語(普通語、Mandarin)のみ公用語と認めるという言語政策が一貫してつらぬかれてきたが、その政策を捨て“全ての言語に平等の権利を与える”政策を推していくようだ。以下、THE STRAIGHTS TIMES より引用

Premier Su Tseng-Chang said the Cabinet is examining a draft for a National Language Development Act to promote the use of local dialects and prohibit linguistic discrimination. “Taiwan is a plural society. And all languages should have equal standing and be respected and supported” he said - (THE STRAITS TIMES, WED, 21 March)

訳)蘇貞昌首相によれば、台湾の国会では、現地方言を普及させ、言語差別を禁止するための条例「国家言語発展条例」の草稿について議論が行われているところである。「台湾は多種社会であり、すべての言語は平等に認められ、奨励されるべきである」蘇氏はそう語った。



台湾では日常生活において台湾語を使う人はかなり多く、ほとんど台湾人が台湾語を理解し話せると言っても過言ではない。特に台湾南部では日常会話のほとんどが台湾語でなされており、台湾北部=北京語、台湾南部=台湾語というように言語分布が分かれている。台湾語は17世紀に大陸の福建地方から台湾に移民してきた人たちの使用言語、ミンナン語がベースとなっている言語で、台湾で話されている言語としての歴史はかなり長い。北京語が台湾で話されるようになったのは、戦後国民党が台湾にやってきてからのことであり、それ以前は台湾語や客家語、+日本語が話されていた。

では、台湾語や客家語はなぜ今まで公用語として認められてなかったのか。

中国からの外来政権である国民党は、台湾を統治するために、彼らの言語を唯一の公用語と定めた。特に1987年まで、国民党による独裁体制のもとで大陸出身者の台湾人に対する政治・経済的差別が続き、台湾人の言葉である台湾語や客家語も排除されるようになった。北京語優遇政策は大陸出身者による台湾人に対する差別を物語っていると言っていい。また国民党の支配のもとでは「台湾人」としてのアイデンティティを排除し、中華民国の国民としてのアイデンティティが創りだされた。この時代に「反共産思想」とともに「台湾独立思想」も抑圧されたのは、台湾を統治する政府が中国からの外来政権であったことが背景にある。この時代にはテレビ放送は北京語使用のみとされ、台湾の“中国化・中華民国化”が進んでいった。

独裁時代に進行した中国化の流れに反発するかのように、現在の台湾では“台湾化”の流れが起こっている。今の与党・民進党が中心になって推し進めている一連の政策は、戦後国民党によって“中国化”した意識を破壊し、“台湾”としてのアイデンティティを創ろうとする流れを反映したものである。「中華・中国」の文字が入った企業や学校を改名したり、蒋介石の名前が使われている建築物や地名を改名する動きがあるのも、中国人によって統治されていた時代の象徴をすべて取り除こうとする意図がある。つい先週も台湾南部は高雄にある蒋介石記念像が撤去された。蒋介石は外来政権による恐怖政治の象徴とされている人物であり、この銅像の撤去されたことの意味は大きい。脱中国化の動きはは着々と進んでいる。

高雄は民進党の支持基盤であり、台湾独自路線を支持する人間も多い。台湾語を日常的に使う人間が高雄に多いことも非常に象徴的だ。言語は自分のアイデンティティの根源となるものであり、それが人々の政治思想を左右することにもなる。台湾語が公用語となり、教育言語となるならば“台湾化”は一層進むことになるだろう。

ところがこの台湾化の流れに対する台湾人の反応にはかなり温度差がある。国民党の支持基盤である北部、特に台北では日常、国語=北京語が使用されており、台湾語を第一言語とする人は少ない。

「私たちの中では台湾語は野暮ったい言語というイメージがある。だから、積極的に台湾語を話そうとする人は少ないんですよね。お年寄りと話すなら別ですけど。」台北大学の学生、黄静榮さんはそう語る。台湾語は若者たちから“俗(台湾語で野暮で下品という意味)”とされている。若者たちにとっては台湾語は老人と話すときにしか使わない言語なのだ。一方高雄出身の哲己氏は「台湾語で話すほうが親近感があるし、自分たちの言葉という感じがする。」と語っていた。

やはり、北と南では自分たちの言葉に対する意識も違ってくるんだろうか。特に台北人の多くは、台湾語を教育言語とすることに反対している。いろんな言語を教育言語として認めてしまったら、国の教育に統一感がなくなってしまう。彼らに言わせて見れば、台湾化の動きによって台湾の教育は亂七八糟(めちゃくちゃ)になってしまっているということなのだろう。


写真;撤去された蒋介石像 新华网より
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# by corredor | 2007-03-22 04:10

十分の街@台湾

かつて炭鉱の街として栄えた台湾東北部の十分、山の中を走る平渓線の電車に乗ってみたいという思いもあいまってから、本日ついに行ってまいりました。
平渓線に乗るためには台北から汽車で瑞芳という駅まで行きます。そこに至るまで、本来なら一時間で行ける所を2時間かけていきました。台湾鉄道はしょっちゅう遅れるという噂を聞いてましたが、その期待にしっかり応えてくれたわけです。

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瑞芳の駅に着くともう既にそこはかなり辺鄙な田舎。駅を降りると弁当売りのおねえさん、おばちゃんが弁当を売りにやってきます。台湾語で「べんとーん」と言いながら弁当を売っている姿が素敵だったので一個買ってしまいました。


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平渓線は一時間に一本しかないローカル線。駅に降りれば改札も屋根もないプラットホームだけの田舎です。駅の近くには一軒の農家があるだけで、人けがほとんどありません。観光用の地図も何もありません。大華という駅に降りてようやくかなりのお歳寄りを発見し道を聞きました。この辺の人たちはお年寄りが多く皆、台湾語を話します。おばあさんの台湾語を聞いてなんとなく懐かしい気持ちになりました。

そこから線路沿いに歩いて、「台湾のナイアガラ」と呼ばれている十分の滝まで行きました。線路の上をひたすらあるいてトンネルを抜けるとそこには十分滝の展望台が見えてきます。雨季だったためか川の水は土色ににごっていました。

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滝を見た後は、十分駅の周辺にある古い商店街(台湾では老街と呼ぶ)を回ってみました。ベンチに座って団欒しているおじさんたち、店の前にたむろして休んでいるおばさんたち、のどかでゆったりと時間が流れている街が素敵でした。

帰りは電車に乗り遅れて、結局タクシーに乗って台北に帰りました。無駄にお金がかかってしまいました。
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# by corredor | 2007-03-16 02:26

新年あけましておめでとうございます ―新年快楽―

旧正月休みが明けて一週間も経とうとしてるのに未だに夜になってロケット花火やら爆竹の音が聞こえてくる。「五月蠅い」と書いてうるさいと読むくらい煩いです。来年からは新年の花火はぜんぶ線香花火にして欲しい。家族揃って線香花火、友達で集って線香花火、いいじゃないか。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 台北より

 台湾に着いて初日、友達の家でご飯をご馳走になった後、何人かとバイクに乗って迪化街という問屋街に行ってみました。新年なので特別なものが売ってるのかと思いきや、あまり普段と変わらない様子でした。てか、普段から奇妙なものばっかり売ってるもんだから、何を見ても特別と思うことがなくなってしまっているのかもしれません。お寺にも行って見ました。新年の参拝客でごった返していました。

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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ @Dihua street

友達と別れ、西門町に向かう途中で、バスに乗り遅れそうになったとき、バス停めがけて走っている僕を見て、近くにいたおじさんが身体を張ってバスを止めてくれました。スーツケースを一つと巨大なスポーツバッグ持っていたので、バスの階段を上がるのに苦労していると近くのOLの人が「手伝いましょうか。」と言って手を貸してくれました。旅行者だと見たのか、近くに座っていたおばちゃんが「あんた、どこのバス停で降りるか分かってるの?」と心配して聞いてきました。なんだか、俺ひとりのために周りの人に多大な迷惑をかけているような気持ちになりながら、周囲の人の優しさにちょっと感動してしまいました。

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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ @Guangjie yixia

 「台北人は新しい店ができると必ず行列を作って並ぶのよ」とは現地の友人が口々に言っていた言葉ですが、西門町に着いて、なるほど、納得。いるわいるわ、ミスタードーナツの前に並ぶ人たち。ミスタードーナツは去年台北にやってきたらしいんですが、新しい店舗ができる度に、そこに行列を作って買いに来る人がやってくるんだとか。ただ、この現象はほとんど一過性で、行列の日々が続いた後は、客足がパタっとなくなり、その店はまもなく潰れてしまうんだとか。早く無くなって欲しい、このミスタードーナツ化現象。
 台湾に来て絶対食べようと思っていたのは臭豆腐。この食べ物、字に書いてあるほど臭い食べ物ではありません。たぶん、納豆とかのほうが臭いと思います。この臭豆腐が食べたいがために、屋台を探してまわって、歩くこと20分、ようやく見つけ、これまた台湾名物である麺線と一緒に食べてやりました。屋台のおばちゃんとしばし会話していると、突然「そう言えば、休み中うちの娘が香港のディズニーランド行って来たのよ」と言われました。あれ、香港人だと思われてるー。台湾では香港人=中国語が下手な民族、という通念があるらしいです。滅

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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ @Misterdonut at Ximending

  台湾でいつもお世話になっている宿舎に到着すると、フロントのおじさん達が熱烈に出迎えてくれました。一年ぶりに帰ってきたのに、以前と変わらない熱い対応ぶりでした。
 その夜は宿舎の台湾人や日本人の友達と普段どおりにビリヤードをしに行って、その後で和平東路沿いにあるバーに飲みに行きました。旧正月で店は俺ら以外に客が居らずほぼ貸切状態で、バーテンのお兄さんたちと共に一晩中ダーツをやったり、ジェンガやったりしてました。新年を祝うためにバーテンダーたちが買ってきたロケット花火を皆で打ち上げました。ロケット花火のファイアーが顔面に直撃し鼻の穴が真っ黒になってしまったとさ。やはり、来年から新年の花火は線香花火がいいですね。

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□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ @The bar called Bella Light

Taipei, 26 Feb 2007
Y.E.O
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# by corredor | 2007-02-28 04:01

京都西木屋町のとある居酒屋で

京都の西木屋町にあるその居酒屋は中央に長いテーブル、四隅に8人がけのテーブルがあるだけで、席に全く仕切りがない。店全体がオープンスペースになっているため知らない客同士が意気投合し一緒に飲み始めることだって稀ではない。小さな店で店の扉の横にはアルファベットの“A”が書いてある。その店は高瀬川の西側の裏道を入ったところにひっそりとたたずんでいた。狭い裏道の一角、しかも建物の二階奥にあるため、ほとんど通りすがりの客の目に付くことはない。A(あ)というなんともシンプルな名前がその店のこじんまり感に趣を与えていた。

それでもこの店は知る人ぞ知る京都の名物居酒屋。平日だって客足は減ることはない。何気にかの有名な旅行指南書“Lonely Planet”に載っているだけあって、外国の旅行者やバックパッカーが頻繁に訪れる店なのである。

京都に来たついでに立命館大の友人と飲むことになったので、ひさびさにこの店を訪れてみる。彼女は今年一年休学してイギリスに留学+インターンシップに行く予定らしく、その国の元植民地であるシンガポールに行っていた俺にいろいろと相談に乗って欲しいということで、この飲みが決定したわけである。果たして一年間シングリッシュと汚い中国語ばっかり勉強しきた俺がかの大英帝国への留学について語れるのか。とても不安だった。一人じゃ不安だったので他にも連れを二人ほど店に呼んでわいわい飲むことに。

店の中に入ると、まず目につくのが意味不明な毛筆習字。しかも超下手っぴ。名前が横文字の名前だったからおそらくどこかの白人客が書いたと思われる。そして天井には“kiss your ass...” と書かれたメッセージが。その文末には Fuck you very much とあり、これまた意味不明。おそらくどこかの日本人が書いたと思われる。

店では一昔前に流行ったビキニギャルのTシャツを来た兄貴が忙しそうに店を切り盛りし、生粋のモッズロッカーであるマリ姉さんは厨房の中で料理を作ったりドリンクを作ったりと忙しそう。店員も一緒になって語り合い飲めるのがこの店の良さなのに、この日はそんな彼らと駄弁ったりすることもできなかったのが残念で仕方ない。

「とりあえず乾杯は生だろ」と思いきや、この店で中生を頼もうとしても瓶ビールしかない。大好きなMalt'sを頼もうとしてもエビスビールしかない。そんなわけでとりあえずスプモーニをオーダー。立命の彼女は「今日はちょっと飲んじゃお♪」とか言いながらウォッカトニックを、途中参加のもっさんはシュールにゆず茶をオーダー。(いやゆず茶って..)飛び入り参加の龍谷の子は店オリジナルカクテルなるものをオーダー。さすがに謎だったのでオリジナルカクテルの中身をマリ姉に聞いてみると「私にもよく分からない」との意外な答えが帰ってくる。まあとりあえず作ってみるよーとだけ言い残して彼女は厨房に戻っていった、そんなんでいいのかオリジナルカクテル...果たして出てきたものはブラッディ・メアリのウォッカをテキーラに変えたカクテルだった。辛!辛!辛!

気づけば、店の真ん中のテーブルでは、日本人のギャル集団とイギリス人のお姉さんたちが絡み始め、それにアメリカ人の男たちと日本人の大学生たちが乗っかって盛り上がると言うなんとも楽しげな宴が始まっていた。その宴を横目に俺らのテーブルでは、留学相談をするはずがいつのまにかもっさんの恋話を聞かされる羽目になり、その話で会話が盛り上がってしまった。「青島と上海の女には手を出すな」彼が与えてくれた教訓である。中国に正味二週間しか行ってないもっさんが「お前は中国の内情を知らないから親中派を謳えるんじゃ、ぼけ」と叱咤してきたのには正直やられた。いや俺も一応正味二週間くらい滞在してますが、そもそもわたしゃ親中派じゃありませんが、と突っ込みどころは満載だったけど一先ずスルー。
しまいに彼は中国語で「去死吧(死ね)」と俺を罵り始めたので、俺さすがに怒る。一同笑う。彼が彼女と喧嘩するときにこの台詞を言われていることを暴露されて笑えなくなる一同。どんまい。

A(あ)の料理は一品200円~500円くらいのお手ごろな値段。お手ごろなのをいいことに料理を10品ちょっと頼んだら会計が一人3000円になっていた。滅! まあおいしかったから良しとしよう。

「今日はあんまり相手してあげられなくてごめんねー」 相当忙しかったのか、マリ姉とビキニTの兄貴はかなり疲れた表情をしていた。一時期は店の売り上げが芳しくないと聞いていたのに
見た感じ商売繁盛してるみたいで本当に良かった。なんか今年の秋に店を閉めてしまう予定らしいが、ぜひ店閉まいしないで欲しいものだ。世界中のバックパッカーたちと京都の大学生たちの憩いの場であり続けるために。

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# by corredor | 2007-02-27 03:22

下山しました

約二週間ほどの山篭り生活を終えてついに下山しました。下界に降りると自分の山での服装が如何におやじ臭かったか気づかされます、毎日一面に広がる雪と満点の星空に囲まれながら素朴な生活していたので、いまや東京での生活は窮屈で仕方ないですね。

二週間同僚と一緒の寮生活をしてきましたが、今回はずいぶんと異色なメンツが揃いました。プロのカメラマン、プロのミュージッシャン、年収一億の起業家、欧州で活躍するジャーナリスト、平民(俺)など、ぜんぜんスキー・スノボと関係ないじゃんていう職業の人たちが集まってきました。それでも皆準指導員以上の資格は持ってるわけで、多才な人っていいなぁと。

雪山でのイントラの仕事はほかでは味わえない感動があります。
生徒たちの成長を間近で見れることは給与以上に僕らにモチベーションを与えてくれる報酬なわけです。今回受け持ったのは全て高校生でしたが、高校生、超可愛いです。男女ともに。別に女子高生好きじゃないです。

仕事が入ってないフリーの日が三日ほどあったので、その時間はひたすら基礎練に励みました。後傾だとか、外足の踏み込みが足りないだとか、ターンの際の上下運動が全然ないだとか、先輩からいろんなアドバイスを貰いながら、プルーク、斜滑降、シュテーム、パラレルとズラしの滑りだけに専念しました。カービングの練習も結構しましたが、なかなか綺麗にできません。エッジが上手くたたずこけました。恥。
今度山にいくときは是非とも講習を受けたいと思います。

それにしても、今年はやばいくらい暖冬なんですね。鼻みずが凍るくらい吹雪が荒れまくった15日を除けば、菅平はほぼ毎日晴れ。ゲレンデも3月末を待たずして閉鎖になりそうな勢いです。コースの脇に畑のジャガイモが顔を出すくらい雪の解け具合は深刻です。ゲレンデが溶けるほどの恋をしようと思ったってハナから溶けちゃってるんですね。バレンタインデーに貰ったチョコも食べる前に溶けちゃってたんですね。誰だ、ストーブの上に置いた奴は(怒)

下山して家に帰ろうと思いきや、そのまま関西にきてしまいました。一昨日のことです。昨日まで友達の家にお世話になってましたが、今は大阪にある法律事務所の社宅に居候させてもらっています。そこの住人は全員外国人です。知らない人ばっかりです。オーストラリア人ばっかりです。ひどくアウェー感に浸ってます。でも皆初日から熱烈歓迎してくれたので、すんなり輪の中に入ることができました。

今から大学の友達と飲みに行ってきます。関西は熱い!
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# by corredor | 2007-02-19 09:13

卒論を書き終えての感想を一言

卒業論文を挟むバインダーに生協の値段ラベルが貼っついたままになっていたことを、事務のお姉さんに手渡してから気づいた。ちゃんと製本して提出してる他のやつらに大きな差をつけられてるような気がした一日だった。

さて、今日で卒業論文も無事に終わり、あとはわずかに試験を迎えるだけになった。
問題意識だけで5000字くらい書いてしまおうという当初の計画は実行されずに終わったので、俺にしてはなかなか上出来だったのではないか。
「もう卒業なのか」としみじみと思いながら、三田キャンパスの真ん中で散っている大銀杏の葉を見ていると、どことなくものあはれを感じてしまう。あ、でもまだ卒業と決まってるわけじゃないんだ。のん気に「江頭2;50のピーピーピーするぞ!」とかみてる場合じゃないんだよね

さて、昨日「卒論提出したら報告に顔を出してください」とゼミの先生に言われてたので、
言われたとおりに顔を出してみた

先生からいつもの紙が配られて曰く「卒論を書き終えての感想を一言♪」

はて、この後に及んで何を書けと言うのか。

さっぱり意図が分からず「勇敢に戦いました」

と書いて提出。

あ、何気にあの感想文も卒論の成績に入ってたりして、、といま後悔しはじめたところだ。

うちの先生には3年間お世話になったわけだが、未だに何かにつけて感想を書かせる癖だけはいただけない。

授業を後に感想、、合宿を後に感想、、三田祭後に感想。

そのうち毎度の飲み会の後にまで感想を書かせてきそうで怖い。

人生のあらゆるイベントごとに感想を書かせてきそうでもっと怖い。

「社会人になっての感想を一言...」
「結婚してみて感想を一言...」
「人生を終えてみて感想を一言...」

まあ、そんな感想ラベルも卒業してから何年かして見たらすごい懐かしいんだろうな。

もう卒業だ!


「卒論を提出するときの話やけど、、

 無駄にタイトルと名前だけ英語で書いて調子こいてみるんか♪

  それとも、白紙のまま提出して別の意味で調子こいてみるんかは♪
 
    自由だ! 」 卒論 is freedom ..♪


- 終 -
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# by corredor | 2007-01-12 17:13

2007年の抱負

明けましておめでとうございます。
もう2007年ですね、2006年はもう二度と帰ってこないと思うととても I miss you な気分です。

さて、僕の今年の抱負は「スベらないこと」。年末のある日にふとそんなことを思いつきました。お前、高校の文化祭のステージでスベってたし?てかお前の人生すべて滑り坂じゃん?とかさんざんに言われた記憶も無きにしもあらず。そんな自分に思い切ってSayグッバイ。あ、でも無理かもと思った今しがた。お笑い芸人宮迫博之が「俺一度もスベったことないねん。」と品川祐に悩みを相談したという逸話は有名ですが、果たしてそれが良い人生であるとも思いません。そもそも人生って何なんだろう。

人生いろんな坂あります。上り坂あり、下り坂あり。そんな人生だから滑ってなんぼです。滑って行けば坂の終わりまですんなり転げ落ちます。そしたらもう一度やり直せばいいんです。それでも時には思いがけず滑ります。上り坂にいても滑ります。まさか!?と思いつつも滑っていきます。それってどんな坂やねん。まさかです。そんな坂です。

はい、滑るの大好きです。

さて、大晦日の夜はいつものごとくグダグダしてしまいました。卒論を書きながら、HIDEのドキュメンタリーを見たり、彼女さんに電話したり、てか全く卒論に集中してないと言ったほうが良いかもしれません。いっぺん死んだほうが良いかもしれません。それにしてもHIDEが初恋の人に「付き合うことは最初から分かっていた」と言われ泣いてしまった話はいつ聞いても感動です。卒論といえば、12月に行った社会調査の結果を集計してSPSSでデータ分析しなければならないのが、殺人的にだるいです。しかもサンプル数400!「おお神よ」と欧米人が叫びたくなる気持ち、痛いほど分かります。社会調査に協力してもらった学校にも礼状書かなきゃだし、お世話になった人に年賀状も書かなきゃだし。今年は初めて海外から年賀状が届いたのでそれも返さないとだし。なんて素敵なんだろうニューイヤー。

年末一番の誘惑は何と言ってもテレビ。チャンネル回しまくりながら、卒論そっちのけです。どっちの毛だ。そっちの毛です。テレ朝をつけて「正義の味方は正義を貫くべきなんだ」とか言ってるドラえもんを拝み、日テレをつければ西川史子をぶった切ろうとしたがいまいちだった泉ピン子にがっかりし、最後にTBSのK-1ダイナマイトを見て曙戦が始まる直前にテレビを消す、といった感じのテレビ地獄に陥りました。

2006年最後の日だったので、今日は高校時代の友人たちが家に集まって、一緒に年越しそばを茹でて食べて・ロンブーの田村亮くんがステージ下に落下したのを見ながら皆で新年の祝酒を交わして・新年の餅をちょいイタリアンにアレンジして食ってました。あ、ちょっと幸せかもと思いました。新年早々彼女さんに電話しようとしたら電話回線が混雑して繋がらずメッセで「あけおめ」とだけ伝えておきました。どうやら彼女は田舎に帰って家族と新年のカウントダウン花火大会を見に行ったようでした。皆平安な新年を迎えているようで何よりです。

今年も皆にとって幸せな年でありますように。あ、やっぱり今年の抱負、「スベらないこと」をやめて「大家平安快楽」にします。この「快楽」は楽しいとか、幸せとかいう意味です、決してエクスタシーとかそう言うんじゃないですよ。抱負は当たり障りのないのが一番ですね。そういや今週末は苗場に初滑り行ってきます。滑らない人生なんて僕には考えられませんです。はい。
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# by corredor | 2007-01-01 09:01